仲が良いのがチームワークではない

東京オリンピック・パラリンピックを1年後に控えての影響もあるのだろうが、最近やたらとスポーツニュースが多いように感じる。ラグビーはちょうどワールドカップの最中なので当然にしても、バスケットボール、野球、バレーボールなど、連日話題に上らない日はない。そこで多く耳にするのが、「チームワーク」という言葉。曰く「チームワークの良さが勝利に結びついた」「今年は例年にも増してチームワークの良いのが特徴です」「チームワークを磨くために一生懸命に頑張ってきました」…。仕事でも「チームワーク」が強調される今日、その言葉が否が応にも耳に飛び込んでくる。

「チームワークが良い」とされるとき、一般にイメージされるのはチーム内の仲が良い、和気あいあいとした雰囲気ではないだろうか。しかし、仲が良いだけで勝負に勝てるわけではない。むしろ、勝負に勝つためには仲が良いかどうかなどは二の次で良いのではないだろうか。それでは、インタビューなどで交わされるチームワークの良さとは、具体的に何を指すのか皆さんは考えられたことがあるだろうか。仕事でも何気なく求められることが多いように思うのだが、そんな時、それは本当に誰かがさりげなく誰かのミスをフォローしているような状態を指したり、楽しく笑顔で過ごすことを指しているのだろうか。

自分に課せられた役割をまず果たそう

つくづく考えてみると、チームワークの良さとは、究極のところ、それぞれが自分の役割をきっちりと果たしている状態に尽きるのではないかと思っている。野球でも、センターに飛んだボールをセンターがきっちり捕らないと勝負にならない。バレーボールでセッターがきっちりボールを上げるので、次のアタッカーが敵陣にボールを打ち込めるのだ。この時、チーム内の仲がいくら良くても、セッターの役をアタッカーが一緒にしているとこれも勝負にならないし、そもそもそんなことはできっこない。だからまず、自分の役割をきっちりと果たすことがチームワークの良さにつながる必要条件だ。

サッカーでもバスケットボールでも、仲間がそうして自分の役割を果たしながら、最後にシュートを決める選手にボールをつなげる。そのシュートが決まらなければ、そこまでボールをつなげた人たちの苦労が水の泡になるだけだ。だからシュートのチャンスを得たものは、必死になって決めようとする。他の仲間たちがそれぞれに自分の仕事をしたからボールがそこまでつながったのだ。「あいつがつないでくれた」仕事を、今度は自分がきっちり次につなげたり、最後の成果に結びつけることが結局、「チームワークが良い」ということになるのだと思うが、いかがだろうか。

社内に明確な目標はあるか

そんなことは当たり前のことじゃないかというお叱りの言葉を覚悟の上で、この機会にもう少し続けさせていただくことにする。

最近ではどこも人手不足が深刻で、そんな中、せっかく採用した社員もすぐにやめてしまうようなご時勢だ。中小企業の社長とお話しをしていても、新入社員の教育・研修に頭を悩ませている方がとても多くおられることに驚かされる。言ってみれば、社内にチームワークを育てる大切な第一歩を新入社員に教えようとしても、すぐにやめられるのではないかということが不安で、厳しく当たれないということのようだ。それがおかしなことと分かっていても状況を変えれない。

スポーツ選手が何のために頑張っているかというと、それはオリンピックで表彰台に上るためであったり、それぞれのリーグで優勝するためであったり、あるいはどこかの対抗戦で勝つためであったりと、明確な目標に向かっているものだ。何となく頑張っている選手などいない。会社でも同じことだ。目標が明確でないのに、「頑張れ」と掛け声だけかけても、かけられた側はしらけるばかりだ。経営者は「何のために頑張るのか」、その目標を明確に掲げてやらねばならない。それをせずに「近頃の若者は耐えることを知らない」と繰り言を言うのは止めよう。

生きることの本質に迫る

最近の若者は年配の人たちと違って、人生の選択肢を多く持つ。仕事に対しても、「生きるためにこれしかない」と悲壮な決意で臨んだ年輩の人たちとは大きく異なる。だから勢い、「何故自分がその仕事をするのか」「その仕事をすることにどういう意味を持つのか」といったことに、必要以上に神経質になる。年配の人たちから見れば、そのことがどうにも歯がゆくて仕方のないところだろうが、そこはある程度仕方のないことと割り切るしかない。膝突き合わせて仕事の意義を考えることは、普段当たり前のように通り過ぎている経営者にとっても、事業を再考する良い機会になるかもしれない。

「チームワーク」のことを考えて何だか雑感のようなものになってしまったが、それは日常生活においても大切なことだ。「人は一人で生きているわけじゃない」とよく言われる通り、どんな時代でも周囲の協力を仰ぎながら、周囲に助けられながら生きている。そんな中で生きていくためには、やはり自分に課せられた仕事というか、役割をしっかり果たさなければ、周囲からの協力を得る資格も持てないのではないだろうか。こんなことを考えなければならないというのもやっかいな時代だと思うが、生きることの本質を教えてくれているように思う。