我が子を切り捨てる?

私は相撲界のことは詳しくない。だから今さらあえてここに書くのも憚られるのだが、例の貴乃花部屋の一件である。貴乃花親方の退職と貴乃花部屋の消滅に伴い、小結の貴景勝や幕内の貴ノ岩を含む力士8人と床山、世話人各1人は千賀ノ浦部屋へ移籍した。その時の千賀ノ浦親方が旧貴乃花部屋から引き受けた力士たちに宛てたと見られる一筆「どの子も我が子」が涙を誘っているそうだ。しかし、私が合点がいかないのは、角界で「我が子」と呼ばれるほどの弟子たちを切り捨ててまで貴乃花親方が守らなければならなかったものとは一体何だったのかということだ。

ここで貴乃花親方と相撲協会のゴタゴタを改めて取り上げるほど私は事情を知らない。しかし、貴乃花親方の角界に対する思いは相当あって、その自分の想いを全うするために子供を切り捨てたと思われても仕方あるまいと思うのだ。しかも双方の意思疎通に問題があったことは確かなようではないか。そんな自分の不首尾を脇に置いて、大切な「我が子」を切り捨てる感覚が分からない。親が子に対する感情からすれば、むしろ「我が子のためなら、自分の信念も捨てる」覚悟で守ってやる位が本当なのじゃないか。

口先だけの「大切にしています」

これは実業界でも同じことが言える。従業員は家族同様。「従業員を大切にしています」とは昨今の人手不足の中、経営者が人材募集に当たって好んで口にする言葉だ。だが本当にそうなのか。上っ面だけの言葉の化けの皮はすぐに剥がれる。大学の新卒で入社3年以内に3割が辞めていく現実をどうとらえるか。高卒ならその割合はもっと高くなる。これまでなら、「近頃の若者は辛抱が足りない」だの「他に良い条件の会社があればすぐに目移りしてしまう」だの、好き勝手に辞められる理由を繕って、また新しい人を採用すればそれで済んだのかもしれない。

しかし、今はSNSの時代。若者だって自ら声を発する。情報を発信できる時代だ。ネットで企業を検索すれば、そんな若者たちの見た企業の実態が誰にでも分かるようになっている。若者たちの言い分を見ていると、「なるほど」と思う反面で若さゆえ見方が一面的であったりもする。しかし、ここでも若者たちと企業側との意思疎通の不足は顕著だ。企業側が本当に若者を我が子として育てる覚悟があるのなら、そんな基本的なことで辞めさせたりはしないだろう。

とことん話を聞く姿勢

パナソニックの創業者の松下幸之助氏は生前、「経営者にとって大切なのは、従業員のモチベーションをいかにして上げるのか、従業員をどれだけやる気にさせるかだ」と強調していたそうだ。そのために、「経営者が本気で従業員のことを思っていれば、従業員が経営者のことを思ってくれるようになる」というのだ。従業員それぞれを認めて、一人ひとりのことをしっかり評価すればモチベーションは上がるという、一見当たり前のようにも思うが、本当に本気で考えている経営者はどれ程いるだろう。

ジャーナリストの田原総一朗氏は、ホンダの創業者である本田宗一郎氏についても、「本田さんが従業員に会うや否や、『目の前にある仕事以外に、今、何を考えているんだ。新しいアイデアはあるのか。考えていないならば、会社を辞めろ』と語りかけていた姿をよく覚えています。そして従業員が何か言い始めると、本田さんはその場でいつまでも話を聞いていました。あんな風に経営者が接してくれるなら、どんな従業員もやる気がアップするに違いないと思いました」と振り返っている。できる経営者はどんな人に接する時も常に本気でぶつかっていたのだ。

諦めた時が限界

こういった話は、「名経営者だからできたことだ」と切って捨てる方もいるが、そうだろうか。特に企業の規模が大きくなると、「現実的に従業員一人ひとりを見てやる気を高めろと言われても、そんなことできるはずがない」と思ったりする。従業員を我が子と思ってもできないのだろうか。「企業は経営者の器以上に大きくはならない」と言われるが、まさに従業員に対する姿勢はその一面を言い当てているのかもしれない。その経営者にはそれが限界なのだろう。

「評価制度は機能していない。会社愛がある人なんていない」「やりがいはあってもモチベーションの維持が大変」「プロセスは見ているようで見ていない。結果がすべて」「外国のマネージャーが評価するのだが、どれだけ日本のことを分かってくれているのか」「公平とは言い難い環境」「理不尽なことが多すぎる」…これはネットに出てくる大手企業に対する評価の一部だ。自分たちの企業にこういった評価があることが分からないはずがない。対策はきちんと打てているのか。まさか放置しているのではないと思うが…。