崖っぷちからさらに追い詰められた過去

ある地方にある創業40年を越える中小金型メーカーがテレビで紹介された。それはどこにでもある油まみれの町工場と呼ぶにふさわしい会社だが、突然工場にミュージアムを併設したということで、「崖っぷちに立った町工場の挑戦」という形で放送された。紹介されてどうなったか。全国から引き合いがきて商売繁盛といけばシナリオ通りだったが、そう簡単ではなかった。実際は、「10名そこそこの従業員のうち4名が辞めて、一層追い詰められることになった」とその社長は苦笑いをする。

何故その社員は会社を去ったのか、正確なところは分からないが想像はできる。これまで金型職人として誇りを持って仕事に励んできたものほど、突然の社長の方針の変更についていけず、それをまた「面白おかしく」社会に取り上げられたことに腹が立ったのかもしれない。しかし、それはマスコミに取り上げられたから辞めたのでなく。取り上げられなくてもいつかは辞めた人たちだったのではないか。社長が会社の方針を決めることは、その決め方にはいろいろあっても当然のことだし、その方針が周囲から見て突出したものであればあるほど、それについていけないものも出てくるのも当然の結果だ。

まず会社の方針ありき

むしろ、今はそういった方針を出さない、出せない社長が多いのではないか。これまで連綿と経営を受け継いできた企業ほど社員と一体となった経営を行い、家族のように思っているということだって多い。だから、これまでの顧客や取引先などを差し置き、給料が払えるかどうか分からない新しいことに挑戦することは、無謀なようにも思えるだろうが、だからといって何もしないのは経営者として無責任だ。それでその企業が将来とも安泰ならそれでもいい。しかし、現状に留まることは、川の流れに身を任せているようなもので、知らず知らずのうちにどんどん舟は下流へ流されているのだ。

新しい取り組みを始めるときというのは、大抵資金もない、人もいない、取り組む時間もないといった制約の中にあるものだ。先のミュージアムを作った金型メーカーだってそうだった。これらの条件がそろったからできたのではない。むしろ、事実はその逆だ。だからそれらを理由に新しいことに取り組めないというのは、ただの言い訳でしかない。ミュージアムを作った町工場を見た人たちがため息をつきながら「自分たちにはできない」というのは、仮にそれらの条件が整ったところでそもそもできない人たちなのだと見られても仕方ない。

思った以上に周囲に動かされる

その後、そのミュージアムを併設した町工場は実際にどうなったか。テレビに出たことが、また別のテレビやマスコミの取材を次々に呼び、その地方では有名な町工場になった。そうしたところ、まだ金型の仕事の売り上げ拡大にはつながっていないものの、「何か面白いことをしている会社」ということで工場視察が相次いだり、学生の体験学習の現場になったり、市の産業観光のルートの一部に入ったりし出した。その結果、インターンシップに大学生が来るようにもなり、これまでなら考えられないような大学生が来春採用予定になったりしている。

もちろん、その会社もミュージアムを作っただけではない。そのままにしておいても来館者は来ないため、婚活パーティから各種セミナー、ワークショップの開催、そして尺八などの音楽会まで催したりしている。そうして分野を問わず人が集まるようになってくると、今度は「何だか分からないけど、すごい会社ですねえ」という評判まで立つようになってきた。この社長が踏み出した一歩は確かに奇抜な一歩であったかもしれないが、「現実はむしろそんな私が思っていた以上に動くものだということが分かった」と社長は振り返る。

まずは一歩の勇気

町工場といえば、今も3Kの代名詞だ。いわゆる、「きつい、危険、汚い」というやつだ。ひと昔前のテレビドラマなら、決まってその工場主は最後に借金苦で病死か自殺をするものと相場は決まっていた。この社長もそのようなイメージのある町工場が「イヤで仕様がなかった」と心中を吐露する。そこでまず工場の中の3S「整理、整頓、清掃」から始め、ひとつずつ改善を形にしてきた。決して当初からミュージアムの併設を予想していたわけではないという。しかし、「一歩踏み出すたびに新しい出会いがあり、それがまた新しく進むべき一歩を教えてくれた」という。

振り返って見ると、「製造業だからといってそれにこだわることもない。ただ自分の思うところをひたすら追い求めてきただけ」という。町工場とミュージアム、今は何の関係もないかもしれないが、将来もそうとは限らない。今度はそれらが融合し合うかもしれない。まだまだ経営的には「崖っぷちの状態からほんの数歩改善できただけ」と笑っているが、少なくとも精神的には随分変わった様子だ。周囲もそんな行動を起こした人に対して応援をしたくなるものだ。少なくとも考えるだけで行動を起こさなければ、何も変わらない。既成の枠を越えて、思うところに向けてまず一歩を踏み出しませんか。