先の見えない不安

民間の調査機関の発表によると新型コロナ関連による倒産の数が10月に600件近くにまで及んでいるという。倒産には至らなくても、その何倍もの企業が今もコロナに耐え忍んでいる。新型コロナの感染拡大が企業経営に及ぼす影響の中で最も辛いと感じるのはその収束が見えないというところにある。人は企業経営に関わらず、生きているうちに途方に暮れることが何度もあるが、中でも最も辛いのはゴールまでの道のりが想像がつかないほどに遠く感じられることだ。この想像がつかないほどの遠さというのは、ゴールにたどり着くまでの時間を読めなくする。

「いつまで耐えなければならないのか」。この問いを今回のコロナ禍の中でおそらくすべての人たちが発しているに違いない。たとえ辛い境遇に直面していても、その期間にいつ終わりが来るのかを分かっていたら、まだ耐え抜くことは容易だろう。しかし、その時間が全く読めないとなると、多くの人は崩れ去ってしまう。いきなり卑近な例えで恐縮だが、私がジムでマシンを使って走る時も、最初に距離を設定してから走り出すと、「残りあと〇㎞」の表示が常に示されるので、しんどくても我慢ができるが、その設定ができない旧型のマシンを使った時は、自分の走った距離は分かるが終わりが表示されないので、しんどくなるといつでも止めてしまい勝ちだ。

ゴールを細かく設定する

こういう終わりが見えない忍耐をしているかのように感じて、どうしても気持ちが落ち込んでくる時にやるべきことは、ゴールを細かく設定して、足をとにかく前に踏み出すことだ。私のランニングはそんなに長い距離ではないが、企業経営の場合だと本来コロナ前に掲げていた目標はいったん脇に置いといて、例えば日々の赤字を止めるためにあとどのくらいの売り上げを確保するか、一時帰休してもらっている従業員を呼び戻すために何をしなければならないのか、普段できていなかったことで今、しておかねばならないことはないか…など、狙いを目先のことに持ってくることも一案だ。

ただ、簡単にゴールを細かく設定してと言っても、それができない場合もあることは重々承知しているつもりだ。そんな簡単に日々の赤字が解消されるのなら誰も苦労はしない。しかし、それでも決して立ち止まらず、仮のゴールを決めて愚直に足を前に進めなければならない。足を前に進めることで、どんなに遠いゴールも近づいてくる。今進んでいる方向が間違っているかもしれないとしても、とりあえず前に進めば自分が進んでいる方向が間違いであったことにそのうち気付くことができるし、それはそれで価値ある前進になる。とにかく自分は前に進んでいるという確信を得ることができればそれでいい。

一つひとつのぼる大切さ

かつて禅の神髄を世界に向かって説き広めた鈴木大拙氏は晩年、神奈川県鎌倉市の東慶寺の山上にある松ヶ丘文庫に住んでいて、そこには130段の石段があった。90歳を越えた大拙氏が外出するたびにこの130段の石段を上り下りしている。その様子を周囲の人が心配すると、大拙氏は「石段を上がる時に、上を見てあんなにのぼるのかなと思うと、上がらん先にくたびれてしまう。上を見ずにただ一つひとつのぼるんだな。そうするといつの間にか上がっているんだ」(鈴木大拙随聞記)とおっしゃっていたという。誠を尽くして一歩一歩、一所懸命に歩んでいれば、いつかは目的地に到達する良い例だと思う。

大拙氏は太平洋戦争の敗戦時においても、その復興に精神的な力を与えてきたとされる。今はその敗戦ほどの打撃かどうかまでは分からないが、これだけ大きなコロナ禍の影響を受けている社会の中にあって、大拙氏の思想に再び注目が集まっているという。その大拙氏はいろんな問題が降りかかってくると、いつも「困った、困った」と言いながらも、飄々と物事を片付けていってしまう方だったとされる。困ったことが起こっても、それを受け止めてうまく処理をしていく。それは禅で鍛えた力なのかもしれないが、人生の最期に至るまで「まだ足りない。まだ足りない」と歩み続けたその生き方を学ばなければならない。

あともう少しの辛抱を

考えるまでもなく、企業の経営でもそれに専念できる状態にあることは、その周辺で必ずそのことを支えてくれている人たちがいることでできることだ。企業経営を通じて本人はどんなに世の中に価値のあるチャレンジをしているつもりでも、それを支えてくれる人たちがいる、例えばそれは従業員であったり、家族であったりするわけだが、他の毎日の生活に必要ないろいろなものを投げ出して取り組める状態にある幸せにまず感謝するくらいの心の余裕は持っていなければならない。

私たちは生きている自然や環境を変えることは容易ではないというか、ほとんどできない。比較的容易にできることといえば、せいぜいがその変えられない自然の中で、自分がどうあるべきかの選択であろう。「もう限界が近いかも。でもあともう少し頑張ってみよう」「疲れた、でももう少ししたら、そのあとで十分な休憩ができるかもしれない」…。そうした選択をしている最中の自分との会話を通じて、私たちは少しずつ謙虚で素直になっていけるのではないか。投げ出すのはいつでもできる。あともう少し、もう少しだけでいいから、頑張ってみよう。