極限状態の中で耐えたのは…

イギリス生まれの日本の作家であるC . W.ニコル氏をご存じの方は多いだろう。「作家」と紹介したが、冒険家でもあり、環境保護活動家としても有名な方だった。残念なことに今年4月に亡くなられている。1995年に日本国籍を取得し、「ウェールズ系日本人」を名乗っておられたという。

そのニコル氏が極地探検の体験を語った中で、「どんなタイプの人が極限状態で強いか」について語ったとされる話が面白い。それは、体力でもない。勇気でもない。寒気と嵐の中で何日も耐え抜くことのできる人間は、何と、「礼儀正しいタイプ」のメンバーだったというのだ。テントの中に閉じ込められて何日も何日も待つ。いつ嵐が過ぎ去るか分かるはずもない。誰もがいら立ち、時には口論したりする。そんな中で、礼儀正しい男が最後まで耐え抜くことができたのだというのはとても意外な言葉だった。

ビジネスでも大切な礼儀

朝、起きるときちんと髭を剃る。髪をなでつけ、歯を磨く、顔を合わせると笑顔で「おはよう」と挨拶をする。横をすり抜けるときには、「エクスキューズ・ミー」という。そして、時々冗談を言って仲間を笑わせる。できるだけ身ぎれいにして、荷物の整理も忘れない。一見、極限状態での生き残りとは何の関係もなさそうなそんなタイプの男が、「いざという時に強かったんです」とニコル氏は話している。「ガタイが大きくて、荒っぽい男は、意外に頑張れなかったんだ」。

礼儀正しさと極限状態を最後まで耐え抜く力とが何故、どのようにつながっているのかまでは分からなかったのだが、ビジネスでも礼儀正しくあることで心を強く保てるということは確かにある。私自身、できるだけ礼儀正しくあるように努力をしているつもりだ。それはそうあることが当然とか、相手によく見せたいとかといったようなことではなく、どちらかといえばもう少し打算的な、「相手に(そんなことで)付け入る隙を与えたくない」という思いからだ。

仮に相手が礼儀正しく、自分がそれに劣っていると感じた場合、それだけで最初からビジネスのやり取りで劣勢に立たされているように感じることはないだろうか。私は何度もそういうことを経験してきている。そして礼儀正しくあることは誰にでもできるほんのちょっとしたことからも可能だから猶更、そんな手間を惜しんだがために成る商談も成らなかった結果になった時に悔しく感じるのだ。

相手を敬う心が礼儀につながる

考えてみれば、礼儀正しくあることは自分の心に余裕を持たせるものかもしれない。しかし、逆に礼儀正しくあることにもデメリットもあるかもしれない。どんなものが挙げられるだろうか。例えば、型苦しい性格に見えてしまう。本心が見えなくて何を考えているのか分からない。砕けた場の空気を読めていない。周囲に媚びているように見えてしまう。心の距離を感じる。などだろうか。でもこれらのデメリットに共通するのは、いずれもやりすぎて周囲から見て不自然になっているということだろう。確かに、どんな時も礼儀正しく振る舞うということで、素の性格がなかなか分かりづらいとなると、分からないことが不安になるのが人の心理というものかもしれない。

必要以上にへりくだってしまうと、それはもう丁寧な振る舞いなどではなく、媚びのように受け取られてしまう可能性もある。あまりに媚びている印象が強いと、おべっかを使っているという風にも思われるだろう。ただ形だけを真似て礼儀正しく振る舞うのではなく、心から相手を敬う気持ちを持つことで、初めて本当の礼儀正しさを実行できるものなのかもしれない。そうすると、やはりビジネスの基本でもある、相手をまず敬って、相手の主張することを素直に聞き、できるだけ相手を理解するように努めるという態度が、自然と礼儀正しさの上に現れると解釈するのが良さそうだ。

自己の研鑽を怠りなく

私たちはつい上っ面だけを見て判断してしまう傾向があるが、この礼儀正しさは上下関係に厳しい芸能界でもとくに重んじられているところのようだ。これも聞いた話だが、バラエティー番組で飛ぶ鳥を落とす勢いの浜田雅功氏は、番組上は師匠格の人に対しても容赦なくツッコミを入れ、時には頭をはたくこともあって面白おかしく笑わせているが、普段はとても礼儀正しい人で知られているという。共演する大御所芸能人の楽屋への挨拶回りは決して欠かさず、「演出でこういうことをさせて欲しい」といったことをお願いして回っているそうだ。

お笑いに関して「天才肌」といわれる浜田氏でさえこうなのだから、凡人の身である自分にはやはり礼儀正しさをないがしろにしていいという理屈は通らない。たまたまその月の営業成績が良かったとか、大きな商談をまとめることができたとか、来客などが絶えず自分の時間がなかなかとれないほどに忙しいからといって、周囲に対する気配りが疎かになるようでは底は知れている。営業成績もそれ以上には伸びないと覚悟をしなければならないだろう。そうならないように、常に研鑽を積み、自分を客観的に見るくせを普段からつけておかねばならない。