明るい朝礼

ある中小製造メーカーの朝礼に参加する機会があった。始業時間は8時で、ちょうど時間きっかりに朝礼は始まる。まず司会者が挨拶をする。司会者は毎日順番に代わるそうだが、今日の当番はベテランと見られる50代後半の男性社員だ。何より元気が良い。声が出ている。企業の理念などを皆で唱和するのだが、皆暗記しているのか顔を上げて声を張り上げて司会者の後に続く。その後は、その企業の社員10数名が円陣を組んで、順番に今日の段取りを発表し、最後にこれも当番制で「今日の話」として約5分間の話を今年の新入社員が話した。「今日の話」に出すテーマは自由で、その日はその新入社員の家族の話だった。途中で笑いも漏れる。約30分後に朝礼は終わった。

この企業は今から約10年前、リーマンショック後に売り上げが激減し、生き残るために思い切って事業転換をした。自分たちが取り組んでいる機械部品加工の大口の取引先が倒産し、その煽りをまともにくらい、企業の存続が危ぶまれるところまで追い詰められた。そこから、社長が「地獄の10年」と振り返るぐらいに書き尽くせないほどの苦労を重ねて、今日経常利益率が3割を超えるほどの優良企業に持ってくることができた。

ベテランからの反発

始めから冒頭のような朝礼をしてきたわけではない。社長が悩んで悩んで、企業内でチームを立ち上げ部品加工技術で高付加価値を目指せるところまでやっと来たときに、それでも社内の暗い雰囲気が改善しないため、ある時、朝礼をして元気をつけようとしたそうだ。

ところが、それを社内で言い出した時、朝礼をすることに賛意を示したのは自分の身内である妻と弟だけ。他の10名弱いた社員からは強烈な反発しかなかった。とくにベテランの社員ほど「今さら何を」といった白けた雰囲気だったそうだ。「そんな朝礼より、その時間で朝の段取りを整えた方が、ずっと仕事がはかどる」と返された。

それでも、この社長が偉かったのはあきらめなかったことだ。もともとが、機械部品の加工業という3Kを代表するような町工場だったが、「自分たちの味方をつくろう」と新入社員の採用に乗り出した。

大学を回り、体育会系のクラブ活動でチームも引っ張っているような人物に目を付け、社長自ら自分たちの仕事に対する想いと情熱を語り掛けた。「私の想いの半分でもいいから一緒に共有できる人を捜し求めた」と振り返る。「学力は別。目標に対する執着心さえあれば何とかなると思った」。

朝礼の続く会社、続かない会社

結局、採用を開始した最初の年に2名の新入社員が誕生した。採用環境も今と違って良かったのだろうというやっかみも聞こえてきそうだが、それはこの社長がそれまでにどんな地獄を見てきたかを考えていない。とにかくその情熱と行動力は突出していた。

このように朝礼に時間を割くことに対して、今でも賛否はある。客観的に考えれば、この企業でも当初ベテランの社員が言ったように、「時間の無駄」とも言えるかもしれない。実際に、これに似た元気の出る朝礼を始めたものの、途中で続かなくなって結局止めてしまったという企業も多いと聞く。続けていても朝礼すること自体が目的となっているのなら、本末転倒でもある。

特に大きな声を出したり、朝から無理やりテンションを上げさせるような朝礼は、女性の従業員には評判も良くない。朝礼の存在を知って入社してくる社員はまだしも、以前からいた古参の者にとっては、下手をするとそれがために退職をするきっかけにもなりかねない。無理矢理、元気なフリをするのに疲れるのだ。

その朝礼が続く企業は、どこが違うのだろうか。

イノベーションを支える

私などは何も最初から頑張ることを目的とする朝礼でなくてもいいのではないかと思う。いわば「自然な」感じの朝礼だ。雑談のような感じになってもいい。そこからいろいろなコミュニケーションが社員同士で起きれば、自然と元気も出てくるだろう。最初から体育会系のノリで元気な朝礼ができて、それを続けていけるのは、語弊を恐れずに言えば、その朝礼が参加者にとって「楽しい」ものだからだと思う。効率や合理性ばかりを気にしていては、大切なものを無くしてしまう。

今は、企業の大小に関わらず企業自ら変化を続けなければ存続が難しい時代にある。その変化を創るために大切なのが「イノベーション」だろう。現状に安住しない覚悟と行動が求められる。それを支えるのがそれぞれの企業理念であり、人材教育であり、仕事や職場の仲間、社会に対する愛情なのではないか。それを確かめ、深め合う場として朝礼が役立てれば、それで十分朝礼の機能を果たしているように思う。まだ、朝礼をしていない企業、諦めた企業ももう一度考えてみませんか。