静かすぎる職場は逆に不快?

IT化の影響からか、訪問しても人がいるのかいないのか分からないほど静かな職場が多くなったように感じる。

そんな時、昔のざわついた職場が懐かしく感じられるのだが、そう感じているのはどうやら私一人ではなさそうだ
静かすぎる職場では、打合せや雑談がしにくいという指摘があるそうだ。

このため、オフィスに気にならない程度の音を流す試みが行われているという。

実際、少し以前の新聞記事にはなるが、「職場の静寂は多くのオフィスに共通する悩みで、ある調査によれば、20~50代の働く男女の53%が『静かすぎる職場は居心地が悪い』と回答した」とあった。

変わる音の種類

これまであったのに、無くなった音というのがある。

例えば車のイグニッションの作動だ。
キーを回す代わりに、今ではボタンを押すだけでエンジンは静かに回転し始める。

ハイブリッド車や電気自動車は音も無く近づくので危険だと言う人もいるが、自動車メーカーによっては擬似エンジン音を標準搭載するなど、「静か過ぎない」工夫をしている。

逆に、やたらと増えているのが、各種の電子音だ。
家にいると、どこかで「ピッ」と音がする。それが何の音なのか分からないまま、音の発生源を探し回ることがよくある。

そんな時、昔の音に対するノスタルジックな感傷が湧き起ってくる。
音を聞いただけで、それが何の音で、どの程度の異常か、異常でないのかが分かった。

変わらない音に対する受け取り方の変化

一方で、音は変わらないのに、以前なら問題にならなかったことが取り上げられることもある。

その一つが「子供の声」だ。

実際、子供の声に対する苦情が紛争になっている例もいくつかある。
保育園や幼稚園など、子供が集まる施設の設置に対して、以前から周辺に住んでいる住民から苦情が生じるケースが多いようだ。


ある人にとっては社会生活上我慢すべき限度内のものに聞こえていても、ほかの人にとっては「騒音」に受け取られるのかもしれない。
こうした例は枚挙にいとまがなく、これも一つの時代の流れなのかとあきらめていたりする。

結局、「安らぎ」を得るのはかつてなく難しくなっているように感じる。

音への自己防衛

街を歩いていると、ヘッドフォンをした若者によく出会う。
何を聞いているのか分からないが、自分の好みの音楽やひょっとしたらあれで勉強をしているのかもしれない。


しかし、これはこれで、周囲の事に我関せずという雰囲気が漂っていて、私などは見ていて甚だ感じがよろしくない。

かといって、街中の大音量のBGMや周囲の際限の無い話に付き合わされるのはもっと面倒だ。
ここはひとつ、スーパーの「レジ袋不要」カードに真似て、「静かに願います」カードでも作って、首から下げて見るか。

静かすぎるのはいやで、うるさいのはもっといや。何ともやっかいな話ではある。