取り組むべきでない仕事を決める勇気をもつ

「時間がない」という。そういう時、時間が足りないということと、成果が思うように上がっていないということで、人は焦ることが多いように思う。

それでも同じ24時間を過ごしながら、誰が見てもすごい成果を上げている人たちがいる。しかも、そんな人たちも決して人が生きるために必要な時間を取っていないわけではない。

では何が違うのか。あのP.Fドラッカーは著書の「経営者の条件」の中で、「誰もが何らかの厳しい制約の中にいる」としたうえで、「どの仕事が重要であり、どの仕事が重要でないかの決定が必要である」とし、本当に行うべきことは「取り組むべきでない仕事の決定をする勇気」であるとしている。

緊急でなないが重要な仕事を第一に

同じ時間について、スティーブン.R.コヴィーも「7つの習慣」の著書の中で、「緊急ではないが重要なもの」を第一に優先すべきとしている。

彼は、仕事を緊急性の度合いと重要性の度合いの2軸で考え、それぞれ「緊急かつ重要なもの」、「緊急ではないが重要なもの」、「緊急であるが重要でないもの」、「緊急でも重要でもないもの」に分けている。このとき、私たちはつい、「緊急かつ重要なもの」に大半の時間を割かれてはいないだろうか、と問うている。

緊急かつ重要なものとは、締め切りのある仕事であったり、クレーム処理、病気や事故などが当てはまるが、これに集中している限り、「やがてはそれによって生活が圧倒されてしまうことになる」と警告する。

木こりを誰が笑えるか


その結果、上記の人が逃げ込める先として、緊急でも重要でもない仕事をして過ごすことになるという。
これに対して、「緊急ではないが重要なもの」とは、人間関係づくりであったり、健康維持、準備や計画などが当てはまる。誰もがその重要性を認識していながら、緊急ではないと言う理由で、いつまで経っても手が付けられないでいる。

これはあの森の木こりの逸話と同じだ。汗水垂らして森の木を切っている木こりが、まず刃を研いでみたらどうかとの指摘に、刃を研いでいる暇があればその間にも木を切れるといって耳を貸さず、その鈍った刃でひたすら斧を振り回し続けるという話だ。誰がこの木こりを笑えるだろうか。

問題に集中するのでなく機会に集中せよ

先のドラッカーは、「大きな成果を出す人は、問題に集中しているのではなく、機会に集中している」ということである。
つまり、成果を出す人は予防的に物事を考えるので、問題が起こることを防いでいたり、たとえそれが起こっても常にそれは少ない。

例えば、「常日頃から行っていれば仕事の業績を著しく向上させる活動がひとつあるとすれば、それは何だろうか」ということを考えてみる。

あるショッピングセンターのマネージャーたちは「テナントの店長たちとの人間関係を築くこと」というものだったという。現実にはそれに割いている時間はわずか5%以下だった。だからまずそのために時間を割くこと。そのためには目的、価値観、優先順位を決める主体性を発揮することが肝要となるのだ。