MBAがどうした

私たちは夢や思いのために、一見合理的でない(損得抜きで働くような)行動をとって生き生きと活動している仲間を憧れの眼差しで見る。

実際、夢を追いかけているという実感があるときには、そうでない時に比べて、同じようにつらい状況にいてもまったく気持ちの持ち方も異なるものだ。

MBA(経営学修士)取得者が珍しくなくコンサルタントが闊歩する時代にあって、例えばマイケル・E・ポーター教授の「ファイブフォース分析」で、市場に存在する5つの競争要因(業界内競争、新規参入障壁、代替品、消費者、供給業者)を分析し、業界の魅力度を聞いても、それでだけでは周囲の心は動かせない。

分析マヒ症候群にかかっていないか

いわゆる「分析マヒ症候群」というやつだ。
何かというとすぐ分析が始まり、「市場の状況はこうであり、競合他社はこういう状態にあり、従ってわが社のとるべき最適なポジショニングは…」といった具合に話が進む。

これだけだと起業コンテストで合格はとれるかもしれないが、それ以上のものではない。

事業を行う当事者としての「思い」が欠けているのだ。
どこか仕事に対して傍観者の立場で関わっているように感じる。

多くの起業家たちと話す時、若い人であってもいわゆる「優秀な」人が多いように感じるのだが、彼らの話しが心に響いてこない。
若い人たちだけでなく、大企業の経営現場、特にミドル以上の層でも同じような状況が指摘されている。

まずは現場での経験を受け入れること

日本が高度成長を謳歌していた時代はそうではなかったと感じる。

現場で議論をしながら自分たちのやりたいことに挑んでいく。
会社は自分たちの夢を実現する場であった。


そこは熱気にあふれ、互いの主観的な観点がぶつかりあっていた。
それが日本的経営の最大の特徴でもあったはずだ。

「海外から経営の科学分析ツールが取り入れられるに従って、仕事がどこか分析中心の“虚業”に変わっていった」と、野中郁次郎・一橋大学大学院教授も自身の著書の中で指摘されている。

「まず現場での経験をありのままに受け入れ、次に自分の内に湧き起こるアイデアをコンセプトとして出していく」ことがイノベーションを生むことにつながっていく。

仮説に向けて挑戦

そしてそのイノベーションの実現には、仮設を設定し、それに向けて挑戦していくことが大切になる。

私たちはとかく、目指すべき理想を外に求めがちだ。
どこかに模範となるものはないか、どこかに手本はないかと探そうとする。
やたら他社と比較して必死に競争をしても、そこには自分の存在意義はない。

夢や理想は外に求めても見つからない「青い鳥」だ。
自分の求める理想は自らの中に眠っている。
創造の原石は私たちの奥底に埋蔵されている。

それが直接経験によって掘り出され、磨かれていって、仮設創出力となり、人間力となるのだ。
起業家ならいつまでも「冷めた傍観者」ではいられない。