AIやロボットにできないこと

あるホームページの制作会社の方が頭を抱えておられた。顧客の要望があいまいで今一つ具体的な改善が思い浮かばないというのだ。よくよく話を聞いてみれば、顧客の方からして「何か良いデザインをお願いします」というだけで、具体的な指示がないのだという。同様の悩みは別の業界の方からもうかがったことがある。定期的に仕事の発注を受けている顧客であっても、「何かもっと良い案はないの」といった漠然とした要求をされることが多いのだという。要求を具体化させようとして定型的な質問をして、最終的にその答えを満たしたものを提示しても、顧客は今一つ納得した様子を示さないそうだ。

これらのことは顧客自身も問題がどこにあるのか分かっていないことを端的に示している。「VUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)」の時代といわれる。つまり変化が大きく、先の予測が難しい時代を指す。これまで人手に依らなければならなった仕事もAI(人工知能)やロボットで代替可能な時代を迎え、人間の仕事のやり方は変わらざるを得なくなっているとされる。問題を解決していくためには、人間よりAIやロボットを使った方が適切に、速く解決できる。しかし、それはその問題が何なのか、それに対してどのような解決方法があるのかが分かっている場合だ。

問題そのものを考える

問題解決のプロセスでは、まず問題そのものを発見して、それが何なのかを定義する必要がある。それがあって初めて問題解決が可能になる。一般に「与えられた問題を解くことから、自ら能動的に問題を発見する能力が求められる」時代になっているといわれる。これまでいちいちやるべきことを指示していた上司からも「何か提案して」と言われたり、顧客からはこれまで黙っていても定型化された仕事が流れてきていたのが、非定型的な仕事が多くなり、何より仕事そのものが黙っていても降ってくるわけではなく自分なりに探しに行く必要が出てきている。

仕事がある程度自動的に流れていっていた時代なら、後は言われた通りにそれをこなしていれば済んだ。頭を使わなければいけなかったのは、それをいかに低コストで、あるいは要領よくやれるかということに焦点が絞れた。しかしそれが提案内容から考えなければならなくなって、曖昧な仕事の依頼にどのように対処すればよいのか見えづらくなっているのだ。よく「顧客問題解決型」「提案型」「コンサルティング型」…といった文句で表面上、仕事の流れを変えようとしている例は巷にあふれているが、なかなか頭では分かっていても、体がついていかない状態にある。

何故価格競争が起きるのか

また別にこんな相談があった。あるビルの管理会社から、毎朝の出勤時にエレベーターの順番待ちの列が長くなる。これをどうにか解消できないかというものだった。相談はコロナ前のものだったので今の状態はまた異なっているだろうが、これに対応した会社は、それぞれ時差出勤や比較的低層階への移動手段として階段の利用促進を図る案などを提案したようだ。しかし問題を混雑解消ではなく、エレベーターの順番待ちをする時間の有効活用ということで考えると、また違った案がいろいろ出てくる。大型の掲示板を設置して順番待ちの間に今日の会議のテーマについて考えたり、士気を鼓舞するようなビデオを流したり…。

結局、コンペなどでも同じような提案が並ぶのは、顧客の抱える問題に対する見方が同じであるために起こる。そうなると顧客の側としては勢い、価格の安いものを選んでしまうということになってしまわざるを得ない。ある意味、顧客と価格で厳しい交渉をせざるを得ないのは、顧客にそのような選択肢しか与えていないこちら側の責任でもある。もし独自に問題を捉えることができれば、提案に価格以外の競争力を持たせることができ、“ブルーオーシャン”で仕事ができる。「言われたことを忠実にこなす」だけでは、顧客の要求に答えられる時代ではないのだ。

「何故?」の繰り返し

そのためにすべきことは、まず何より最初に与えられた問題を疑うことから始めなければならない。例えば何か一つのテーマについて調べるように依頼された場合でも、それをいかに効率的に素早く調べるのかでなく、「そもそも何故それを今、調べる必要があるのか」を考えるということだ。いわば問題そのものをまず疑い、改めて問題を定義し直す作業から入る。ある製品を調べるのなら、研究に携わる人ならその核となる技術の動向を知りたいと思っているのかもしれないし、業界の人なら今後の需要の変化を考えたいと思っているのかもしれない。それを利用する立場からは、その製品を利用することでどれだけコストダウンが図れるのかを調べたいのかもしれない。

要は問題を投げかけられたら、その上位の目的を考えることで初めて依頼主の要求に沿った対応ができるのだ。このように現実にいろいろな問題に直面する時、「そもそも何故?」という疑問を既存の問題にぶつけてみることが大切になる。さらに、これらは問題があってそれが認識されている場合についての対応だが、そもそも「問題さえもない(分からない)」場合には、まず「何が悪いのか」を自覚することから必要になる。このためには既存の常識を疑うところから始めなければならない。「何故?」を繰り返すのはそういう点からも効果的だ。このために頭から血が出るほどの苦労を重ねている先人たちもいるのだ。