増える精神疾患

新型コロナウイルスによる景気の減速が深刻化しつつある。こうした状況は特別と捉えるご意見もあるだろうが、とにかく先の見えない時代ではある。阪神大震災や東日本大震災に代表されるような相次ぐ自然災害の猛威もそうだ。特に、企業家から見れば2008年のリーマンショックの時もそうだったが、一国の投資銀行の経営破綻に端を発した金融危機が世界規模にまで影響を及ぼしたように、遠い国での出来事であってもある日突然、その累が及んでくる。普段の時でさえ科学技術の日進月歩の発展に気が抜けない毎日を送っているのに、これではまったく生身が持たないのも当然だろう。

事実、わが国で精神疾患により医療機関にかかっている患者数は近年大幅に増加しており、厚生労働省によると2014年は392万人、2017年には400万人を超え、その数はなお増加傾向にあるとされている。もっとも、この中で多いのはうつ病、統合失調症、不安障害のほか、認知症など幅広く含んだ数字であるのだが、どれだけ大勢の人が精神を病んでいるのかは伺い知ることができる。身の回りを覆う不安や恐れ。それらはこれからも増えこそすれ、減ることはなさそうだ。そうである以上、私たちはそれらとうまく付き合う必要がある。私たちはそれらとどのように付き合えば良いのだろうか。

対象が明確な恐れと不明確な不安

まず注意したいのは、不安と恐れとは異なるということだ。その違いは対象が明確かそうでないかの違いにある。不安とは対象がはっきりしていないときになるもので、恐れは逆に対象がはっきりしている。それは言葉の定義だけでなく、不安と恐れを感じる脳の経路まで別々であることが分かっている。不安は脳の三角中隔核と呼ばれる経路を通り、恐れは前交連床核と呼ばれる経路を通ることで、それぞれの感情が作られるとされている。そして、そのために、不安と恐れでは、それぞれの対策や治療法なども異なってくるから、まず自分が今、感じているのが不安なのか恐れなのかを判別することが肝心になる。

例えば、「これ以上仕事が増えると大変なことになる」と悩んでいる人と、「これ以上仕事が増えると一体どうなってしまうのだろう」と悩んでいる人がいる時、一見すると両者は同じ悩みを抱えているように見える。しかし、実は両者の悩みはまったく異なる意味合いを持つ。

最初の「これ以上仕事が増えると大変なことになる」という悩みは、「今でも忙しいのにこれ以上仕事が増えると処理が追いつかなくなり、周囲に迷惑を及ぼし私が困ることになる」ということで、「今以上に忙しくなること」に対する恐れを抱いている。だからその対処法としては、今以上に忙しくならないようにすればどうすれば良いかを考えれば済む。

不安にもあきらめるのでなく、今の問題として対応を

これに対して、後者の「これ以上仕事が増えるとどうなってしまうのだろう」という悩みは、「これ以上仕事が増えるとどうなってしまうのか予想がつかない」状態で、漠然とした不安に包まれているのである。そして、厄介なのがこちらの対処法だ。恐れとは異なり対象が曖昧なだけにそのままではどうにも対処の仕方が分からず、「仕方ない」「あきらめよう」「時間が解決するだろう」…としか考えられない。今、増えているのはこうした対象が不明確な不安なのではないか。そして、それを「仕方ない」からといってそのままにしておけるほど私たちの心にも余裕がなくなっているのかもしれない。

かつて、ドイツの哲学者、マルティン・ハイデッガーはこのような不安に対して、「根源的時間を生きよ」と呼びかけた。つまり「今を生きる、今を大事にしよう」ということだ。人は過去から現在、そして未来へと「通俗的な時間」の中で生きているように感じているが、この時間の感覚を変えて、過去は今の自分の中に既に存在する「既在」として、未来は今の自分の方へもたらす「到来」として捉えることで、「過去も未来も今の自分の中にある」と唱える。そうして過去や未来の不安に対する心理的な距離を短くすることで、その心理的な負担も小さくなるとした。

今を生きる

この根源的な時間の中では、過去の失敗に対して、「一度起きたことはもうどうにも取り返しがつかない」と考えるのでなく、今ならその時の教訓を生かして思い切って再提案してみようと考えることができるかもしれない。「未来に地震が来たらどうしよう」という不安に対しては、これが通俗的な時間の中では対処の仕方もないが、根源的な時間の中においては「未来に来るかもしれない地震に備える」という対処の仕方が生まれる。不安の究極は「いつか必ず来る自分の死」になるが、それさえも根源的な時間の中では、「予め来る死を覚悟して今を大事に生きる」ということになってくる。

毎日の生活や仕事の中で抱えている悩みで頭がいっぱいになった時は、是非それを書き出して、その一つ一つが不安に該当するのか、恐れなのかを考えてみると良い。そして、不安なら不安への対処の仕方、恐れなら恐れへの対処の仕方を考え出すことができれば、精神的な負担も減るのではないか。増して、企業を引っ張るリーダーとして今、仕事をしておられるのなら、嫌でも事業の将来を考えて、今すべき行動を即、取らねばならない。不安や恐れにおののいている暇などないはずだ。精神的な負担には早々にけりを付けて、皆さんの今後の一層のご活躍を心よりお祈りします。