気持ちは分かるけど、何が言いたいのか分からない

つい先日、ある取引先の方と話しをしていて、イラっとさせられたことがある。
「何故この人は私の話すことを分かってくれないのだろう」と。皆さんはどうだろう。そんな経験は多くないだろうか。
これはほとんど私の話し方が論理的でなかったことが原因なのだが、そう思うのは後で冷静になってからだったりする。


言うまでもなく、家族などの親しい人たちと交わす気軽なコミュニケーションとは異なり、仕事の場合、その関係者が増えれば増えるほど、感覚的に話すだけではこちらの思い通りに情報が伝わらない。
「昨日はカレーだったから、今日はラーメンにしよう」と言っても、何故今日はラーメンなのかの説明にはならないのである。

帰納的論理と演繹的論理

仕事でコミュニケーションをとる時の目的は、相手に理解をしてもらうことや適切な意見や判断をしてもらうこと、そして最終的に行動をとってもらうことにある。

これらを筋道を立てて説明する必要があるのだが、その筋道が立っていないと、人は往々に「どうして?」とか「え、それだけ?」とかの疑問を生じることになる。

筋道を立てて説明する具体的な方法に、帰納的論理と演繹的論理とがある。
帰納的論理とは2つ以上の観察を行い、その共通項に着目して結論を推測するものである。
演繹的論理はいわゆる三段論法というやつで、「AはBである、BはCである。だからAはCである」と結論を導くものだ。

日常使うのは大抵が帰納的論理

演繹的論理というものは、大前提で示される内容が正しければ結論は正しい。
だが、私たちが使うものは、大前提自体が仮説であることがほとんどで、だから使うのは大抵が帰納的論理だ。

例えば、「A社は最近新製品を出していない。A社は従業員が多く辞めている」との情報から、「A社は経営難に陥っている」と結論付けるようなものだ。

ところが、ここで見てもらっても分かるように、帰納的論理は人が突っ込もうと思えばいくらでも突っ込むことができる。より納得性の高いものにするためには、漏れなく、ダブりなく情報を整理することが大切になってくる。
上の例でいえば、実際にA社の決算数字はどうなっているのか、支払いは遅れていたりしているのかなどだ。

情報の整理次第で正反対の結論にも

重要な情報を欠くことで、人は間違った結論を導いてしまう。
A社は経営難に陥っているから取引を中止しようとなるのか、単に偶然が重なっただけで大切なビジネスパートナーとしての関係を続けるのかでは、正反対の結論になってしまう。
論理的に話すには、話しの縦の流れだけでなく、横の広がりも必要だということだ。


私は特に仕事で熱くなると、感情的に話すことが多くなるという欠点がある。
話すことを一旦樹形図のような形にしてメモにし、それから落ち着いて話せば良いのかもしれない。
分かってはいるつもりなのだが、なかなかそれができない。そんな余裕なんてないと思ってしまう。
だからなおさら、論理的に話す方を見かけると尊敬するのだ。