無くならない「すれ違い」

コミュニケーションの大切さは今更言うまでもないことと思われるだろう。しかし、その割にはこれほどよく理解されていない言葉もないかもしれない。よく問題が生じた時、「だから言っておいただろう」「これについては回覧しておいたはずだよね」「掲示板に貼っておいたよね」との伝え手の言い分に対して、聞き手は「いや私は見ていません」「そんな意味だとは思いませんでした」といったやり取りが企業の中でも起こる。ある人はメッセージを伝えることがコミュニケーションだと考え、メールを送りさえすれば成立すると思っている。また、ある人はメッセージが共有化することで、初めて成立するものだと思ったりしている。

「『言葉』や『メッセージ』がコミュニケーションの大切な部分であることは間違いないが、それは伝えたい意味を運ぶ入れ物に過ぎない」と指摘するのはアメリカ・テキサス大学でアソシエイト・プロフェッサーを務める清水勝彦氏。同氏は、「ある意味を伝えたい送り手がそれを言葉にして受け手に送るだけではコミュニケーションはまだ成立しない」という。つまり、受け手はその言葉からそこに含まれる意味を自分なりに理解する。この時、送り手の意図が受け手に正しく伝わって、初めてコミュニケーションが成立したことになる。上司から部下への指示であれば、その時にこそ上司の目的が部下によって達成されるのだ。

コミュニケーションは意味を共有して成り立つ

同じ言葉でも、その時々、場面によって、送り手の意図が受け手によってまったく異なった解釈をされることは日常茶飯事だ。「目は口ほどにものをいう」ことも事実で、男性が女性に「好きです」と告白をしても、真剣な表情で言えば意図は伝わるかもしれないが、笑いながら言っていては「ふざけている」「冗談でしょう」としか伝わらない。

このコミュニケーションを「意味の共有」とした場合、特に3つのことが大切になると先の清水氏は話す。それは、まず1つは「送り手が手間をかけること」、2つ目は「聞くこと」、そして最後が「小さな行動が大きな言葉より雄弁」だということだ。

伝え手は手間を惜しむな

最初の「送り手が手間をかける」についてだが、コミュニケーションで送り手として意識し勝ちなのが、「いかに効率的に情報を伝えるか」ということにある。だから社内の電子掲示板を使ったり、メールを使うことになる。確かに「効率」という点で見れば、これほど便利なツールもない。しかし、清水氏が懸念するように、メールでは「情報」は伝わるかもしれないが、「意味の共有化」に関しては何の保証もないということだ。

よく見られるのが、メールを「伝達した証拠」「何か文句を言われた時の保険」として、気軽に、本来は必要のない人にも送ることが多いことだ。その結果として、会社の中枢になる人のパソコンはメールで溢れかえることになる。だから巷では、「溢れるメールの中で目立つためにはタイトルを一字下げよう」などと、訳の分からないテクニックまで紹介されることになる。

同じ「緊急」というメールを受け取っても、ある人にとっては今すぐであっても、別の人にとっては今日中、または今週中といった意味にとられる。だから「Face to Face」の会議も必要になる。「だから会議が増えて困るのだ」とも言われるが、セブンイレブンやウォルマートなどの多くの優良企業がわざわざフィールドにいるマネージャーを集めて全体会議をするのは、そうした企業が変わっているからでも、資金が潤沢なためでもなく、そうしなければなかなか「意味」が共有できないからだ。
 

相手の状況を知って初めて「聞く」ことができる

2つ目の「聞くこと」自体は、案外「簡単なこと」と思われがちだが、本当に意味を共有するためには、相手の置かれている立場や状況を知らないとできないものだ。会議などでトップが「生煮えの情報など持ってくるな。時間のムダだ」と話す場面に出くわすことがあるが、そうした会社では部下はもう二度と情報を上げようとしないだろうことは容易に想像がつく。しかも、その時の「聞き方」にも要注意だ。社員は自分の意見を「聞いてもらった」と実感すれば、結果としてたとえその意見が通らなくても最終決定に従い易いものだ。

最後の「小さな行動が大きな言葉より雄弁」とは、給与を上げるといっておきながら上げなかったとか、たとえ些細なことでもそれを社員が見ているということだ。企業の言行が一致しないのは、売り上げが予想以上に下がったとかそれなりの理由が原因であることも多い。しかし、だから「こうせざるを得なかった」と説明をしたところで、「業績が悪いことにかこつけて本音が出た」としか受け取られないかもしれない。普段から言行一致を貫いていないと、こちらの伝えたい意味が初めからまともに受け止められない。そうならないために、いつも小さな行動から気を配っておく必要がある。賞味期限を少しごまかしたくらい大したことでないと思われても、それがそのことに留まらなくなるのだ。

コミュニケーションの大切さを思う時、こうした一つ一つの見直しが求められることを改めて肝に銘じておきたい。