その成果、単なる驕りではないか

ある中小企業の社長とつい先日、話しをしていた時、その社長は「うちの従業員はとても優秀な人たちだから、中期経営計画に掲げた目標を1年早く達成できた」と手放しで褒めていた。その時は、「余程景気が良かったということなのかな」と思いながらやり過ごしたのだが、逆に「中期計画がいつも達成できるわけでもないだろう。その時は何というのかな」ということが気になってきた。成果が得られたことを従業員の手柄にするのは美談ではあっても、問題を従業員の良し悪しにすり替えているだけだとすれば、大変なことになりはしないだろうか。

太平洋戦争の時に、「日本の兵隊の世界に誇る精神力をもってすれば、日本兵1人で米兵の3人や4人がかかってきても何ら恐れることはない」と根拠のない自信を抱いていたことと同じではないだろうか。成果を達成するために、「じゃあ、その優秀な従業員をどう采配したのか」「上に立つものとしてどんな戦略に立って、どんな工夫をしたのか」といったことが語られていない。組織に問題が潜んでいるかもしれないのに、まったくそれに対する意識も意図も感じられない。たまたま勝負に勝った、想像していたより成果を多く得られたというに過ぎないのではないだろうか。

死に物狂いの中から活路

歴史を振り返って見ても、日露戦争の時は違った。むしろ、昨日まで田や畑を耕していた農民上がりの日本兵が、あの屈強なロシア兵にどうすれば勝てるのか、それこそ「日本騎兵の父」とされた秋山好古は、世界最強とうたわれたコサック兵に対する戦法を死に物狂いで考えた。また、当時これも世界最強のバルチック艦隊に立ち向かった秋山真之もそうだった。「自分たちは弱い」と自覚するところから様々な工夫やアイデアを生み出した。当時はあのロシアに日本が勝てるとは誰がどう考えても無理だと考えられていた。

西南戦争は西郷隆盛率いる薩摩の屈強な兵士が、農民上がりの者たちで組織した官軍に負けた。官軍は1対1の兵の力では劣っても、弾薬を使って武器の力で戦に勝った。さらに遡っても、織田信長の抱えた兵力は当時周辺の大名よりはるかに弱いとされていた。その劣勢をはねのけたのが、奇想天外の桶狭間の戦いであり、画期的な鉄砲の使用法を考え出した長篠の合戦であった。要は一人ひとりの力に頼ることなく、戦略的かつ戦法に工夫をすることで劣勢をはねのけたのだった。

兵は愛情とともにどう使うかが大切

孫子に「卒を視ること愛子の如し、故にこれと倶(とも)に死すべし」(地形篇第十)とある。「将が兵(卒)を視る視線が、兵の心を奮い立たせる。愛する子どものように兵に接すれば、兵はともに死んでも構わないと思ってくれる」という意味だそうだ。

兵士の感情や、大将と兵士の心の通い合いを戦場でも大切に思う、そんな孫子の人間味が出ている言葉だ。それは兵士をただ勝つための道具として見るのでなく、ひとりの人間として弱さを含めて認める姿勢の大切さを思わせる。孫子の言葉のような行動と視線を心がけた将軍は、古代中国でも案外に多かったようだ。

しかし、孫子は続けて、「厚くして使うこと能わず、愛して令すること能わず、乱れて治むること能わざれば、たとえば驕子の若く、用うべからざるなり」と言う。つまり、「兵を厚遇するだけできちんと使えず、愛するだけで命令もできず、乱れていても治めることができないならば、兵は驕ってわがままな行動をする子どものようになってしまい、戦場では使えない」ということだ。

これは、兵が驕るか死ぬ気で頑張るかの違いを生んでいるのは、実は将の側の「使」「令」「治」の能力の有無であり、そうした能力をきちんと発揮する凛とした態度であるというのだ。

経営も「正」が基本

今、日本の景気に対して後退が懸念される意見が相次ぐ中で、それでも先行きに対して不安視はしてしても「絶好調」を謳歌する中小企業も少なくない。むしろ、今業績が良くないところは、いつ良くなるのだろうと思われるくらいだ。しかし、それが本当の実力によるものかどうか、「絶好調」のうちに今一度振り返って見るのもいいのではないだろうか。それを怠り、単に「従業員がよく頑張ってくれたから」とするだけでは、次の景気の下降局面では「従業員の頑張りが足りない」ということにもなりかねず、これでは仮に問題があった場合、何らの解決にも結び付かず時代に取り残されていってしまうだけだ。

経営者の判断と行動が今こそ大切なのでないだろうか。同じく孫子に、「凡そ戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ」(勢編第五)とある。「戦略の基本は正、そこへ奇を加えると勝てる」ということ。正とは正統的で定石通りの戦略であり、奇とは意外性を持った戦略を指す。正奇の組み合わせが大切で、その組み合わせにはいろいろなバリエーションがあり、それを考え抜くことが肝要であると。まず「正」ありきなのだ。経営も「正」こそが戦略の基本。それを怠っていては、景気が反転した時に足元をすくわれることになる。