起業に遠慮は不要

起業について極めて個人的な意見を言わせてもらえれば、私はもっとみんなが我儘にやりたいことをやればいいのではないかと思う時がある。これは自分のモットーでもあるが、特に今のシニア世代の人たちを見ていると、型通りに強み弱みや外部環境の分析をして、市場調査を行って、その結果自分の本来やりたいことがどの程度実行できるのか怪しい事業計画書を作って、それに縛られることほど悲しいものはないように感じる。これから人生の終幕を迎えようとするのだから、誰が何といおうと、最後ぐらい他人に迷惑をかけない範囲で自分のやりたいことを思う存分やればいいのだ。

それができないのは、失敗するのが怖いからではないかと思うのだが、失敗が怖くて後悔をするような羽目になっていいのか。そもそも失敗って一体何なのだろう。逆に成功って一体何なのだろう。それは多分、世間的にはどれだけそれで儲けることができたかじゃないかと思う。たくさん儲けることができたのなら成功、逆に借金を作ってしまった時には失敗と決めつける。確かに、世の中に迷惑をかけるほどの借金をしてしまうのは避けたいところだが、そんな儲けを基準にした判断より、もっと大切なことがある。それは、自分が思い残すことなく、人生を終えることができるかどうかだ。

やり残したことは何?

これまでのキャリアで自分がやり残したと思うことを、最後に実現させればいいのだ。誰に遠慮をする必要もない。どうしても最後に一山当てたい、大儲けをして札束の中で死にたいと思うのなら、それはそれでいいだろう。それにふさわしい起業をすればよい。でも皆が皆そう思っているわけではないだろう。若い時に夢見たことを最後に実現させたいとか、この世にせめて生きた証としてこれだけは残したいと思うことを事業にしてもよい。もっと自由に振る舞えばいいのだ。それをとりたてて何の考えもなく各地の創業支援制度などを利用すると、「それでは成功しないですよ」などと訳知り顔で修正させられる。

銀行などもお金の運用に困っているわけだから、何とか無難な事業計画書を出してもらって、どうにかしてそこに余った金を貸し付けようと四苦八苦している。親切心で忠告をしているようにも見えるかもしれないが、自分たちの食い扶持を探すのに必死なだけだ。それで自分のやりたいことができないのなら、そんな忠告に乗る必要などまったくない。金なら今の時代、銀行に借りなくても、クラウドファンディングで集めるという手だってある。だから誰に遠慮することもない。大いにやりたいことをやろうじゃないか。それをすることがシニアパワーの本領発揮につながる。

シニアパワーで全国を元気に

もっとも、それで大やけどを負ってしまってはいけない。二度と立ち上がることのできないような失敗は避けなければ、周囲に迷惑をかける恐れもある。だから、できる範囲で実行するのだ。それだっていいじゃないかと思う。規模を追っても仕方ない。誰と競争するのでもないから、自分のできる範囲でやりたいことをやればいいではないか。一生懸命にやっていれば賛同者は少なくてもきっと現れる。何たってこれからの社会は人数においてはシニアが主役だ。シニアが元気なところを見せることができれば、若者たちの世代も含めて日本全国が元気になれる。そうなれば地方の過疎化だって問題じゃない。

そのことを私と同世代のシニアの元同級生に話すと、「お前はいつまでも元気でいいよな」と蔑むような眼でため息をつかれた。冗談じゃない。これからさらに死ぬまでの間、周囲の顔色を見ながら、お行儀良く無難に生きろと言うのか。飼い慣らされた犬みたいに、時代に押し流されて生きるなんてまっぴら御免だ。自分はここにいるという存在感を、人生の最後まで見せてやろうじゃないか。そうすれば、ここまで生きてきた甲斐もあるってもんだろう。シニア世代が集まると、誰それが何の病気で亡くなったとか、病気自慢のような話で盛り上がりがちだが、私の周囲では絶対にそんな風にはさせない。

嫌なことは止めよう

他の皆だってそうだ。若い時は情熱を込めてそれぞれの夢を語り合ったじゃないか。あの時の夢はどこへ行った。あの時の情熱はどこへ行った。徐々に角が取れて丸くなることが年をとるということなら、そんな年の取り方なんてしたくない。もう一度、最後のチャンスに自分を賭けてみるんだ。きっとうまく行く。間違った。うまく行くかどうかは関係ない。うまく行かなくても、きっとその結果に満足していつでも人生を終えることができる。そして、その最後まで生き切ったという姿勢を次の世代に見せつけてやるのだ。だからシニア世代の皆さん、もっと我儘に、思い切りやりたいことをやっていきましょう。

放っておけば「100年に一度の大変革期」とかで、IoT(モノのインターネット)はどうなる、AI(人工知能)がどうなる、といった話題で持ちきりだ。技術革新が進むにつれ、これからますますシニアは用済みのように扱われるだろうが、そんな失礼なことってあるだろうか。自分たちにはここまで生きてきた経験があるじゃないか。それぞれに輝きを持って活躍をしてきたはずだ。もう周囲に遠慮するのはそろそろ止めて、これからはもっと我儘に人生を追求しよう。嫌々やってきたこと、付き合いで仕方なくしていたことを止めることで、好きなことに没頭できるようになる。周囲だって、そんな輝いたシニアの登場を待っているのではないだろうか。