「絶対する」気持ちが必要

計画や目標があっても達成できない企業は多い。だから経営がしんどくなる。私が以前関わった企業もそうだった。一応年初に年度計画は立てるのだが、それっきりだった。最初から分かりにくい計画で、誰も理解していなかった。理解しようともしなかった。何故なら、それでも問題にならなかったからである。周囲を見ても皆そんな感じだった。ひょっとしたら、それを作った経営者自身が、その計画を忘れているのではないかと思ったりもした。これは私が関わった企業だけのことではないだろう。特に中小企業なら有りがちな話なのではないだろうか。

そこでは、計画や目標がある日突然に上から降ってくるのが常だった。一体どこで誰が、何を話し合って、なぜそんな計画や目標になったのか誰もが一切分からなかった。だから、それを何故しなければならないのかの理由も分かっていなかった。そんな計画や目標を誰がやろうとするだろうか。「絶対やるんだ」という気持ちがまずないから、いつも未達成のまま。1年経って、年度末にトップが「遺憾ながら未達成だった」というのが習わしとなっていて、社内は「だからどうなの?」といった雰囲気だった。

目標を達成することが当たり前の雰囲気を作る

言うまでもなく、計画や目標の達成は、「絶対にそれを成し遂げなければならない」という気持ちを皆が共有できるかどうかにかかっている。その気持ちを共有できるかどうかは、その計画や目標が持つ意味、何故そのような計画が出てきたのか、それをすることでどんな問題を解決できるのかを分かっていなくてはならない。よく作る過程が大切だという話がなされるが、それは上から作られたものでも、下から積み上げたものであっても、出来上がったものの意味を分かっているかどうかが大切なのだということだと理解している。

絶対に成し遂げるためには、毎日が反省の連続になる。未達成の時は未達成の原因を追究し、明日はどうするのか、明確な改善策を見出さないと、明日もまた未達成の日を繰り返すことになる。「未達成でも仕方ない」と許される雰囲気が社内に少しでもあるようだと、それが蟻の一穴になる。その「一穴」に未達成の言い訳が集中することになる。結果、いつまでも会社は良くならない。各自、各部署、会社全体で常の問題を発見し、原因を分析して対策を立案し、即時に実行できる体制になっているか。考えて行動する集団にならなければ、勝ち抜ける組織にはならない。

体裁だけになっていないか

厳しいことを言うようだが、つい先日もこんなことがあった。その会社の応接室に入ると、「企業理念」が額縁に収められて飾ってある。どこにでもある風景だが、実はこの理念、もう何年も飾ってはいるが、社員に浸透させるでもなく、ただそこにあるというだけになっているというのだ。しかもその理念は7つも箇条書きになっていて、覚えようにもなかなか覚えにくい。理念がこんな感じになっているので、もちろん社員たちはそれに基づいた行動なんてできるはずがない。

ただ体裁だけ整えたところで終わっている。本当は理念の下に行動指針があって初めて社員は積極的に自分で考え、動けるようになるのだ。あるパン屋は、「出来立てを美味しく食べていただく」ことを理念に掲げ、従業員たちはそのためにできることを段取りして、とにかく出来立てを美味しく食べてもらうために自分たちのできることを工夫した。その良かれと思う行動に対しては、誰も異論を唱えない。要は形だけでなく、魂が入っているかどうかだ。しかし世の中、魂が入っているとは言えないことが多すぎる。

マンネリに陥っている標語

「安全第一」。工場などで必ず見かける看板だが、これにしてもマンネリの代名詞のようなものだ。本当に第一と思うなら、第二もあるはずということで、「安全第一、能率第二」と掲げた工場があった。その経営者が話すのは、「以前は本当に労災事故が多かった。でも人命の尊さを考えると何としても事故を減らさなければならない。そこで能率を上げることだけを言っているうちは事故が無くならないことに気付いた」ということだった。

その気持ちを表すために、「安全第一、能率第二」の標語を掲げたそうだが、時間が経つに従って安全の実績が徐々に上がったが、能率も決して落ちなかったそうだ。「安全も能率もどちらもしっかりやれと言っていた時は、結局どちらも中途半端でした」と話す。これなどは言葉に魂を吹き込んだ素晴らしい例と言えるのではないだろうか。

よく「形から入る」という。それも手段としては良いのかもしれないが、形を整えて終わっていてはいけない。形に魂を入れることができているか、経営者なら今すぐ反省をしてほしい。