若手から見た上司、社長

上司や社長の立場にあって、部下にかける言葉の重みを考えたことがあるだろうか。私が新入社員の頃、部長は雲の上の存在だった。ましてその上の役員クラスや社長ともなればもう話し掛けられることも想像できないほどの恐れ多い存在だった。そんな立場の人と直接やり取りすることも想像できなかったが、そんな機会がやってきそうになっても人一倍気の弱いというか、やる気を表に出すことにためらいのあった私は、陰に隠れていたものだった。

あれは入社して4年目頃のことだった。私がいた職場のチームがその年の年間を通した売り上げが優秀だったということで、「社長賞」をもらうことになった。それで社長がわざわざ東京から、当時チームがあった京都にまで視察に来ることになった。当然チームを率いる部長クラスの人物は鼻高々で、チームを挙げて歓待することになったのだった。しかし、私一人は直接営業に関わっていなかったこともあって、社長が視察の日も私一人がいないくらい何でもないだろう、と思って別の外回りの仕事を入れていた。だから社長とは話しをせずに済んで、ホッとしたりしていた。当時の私にとって、そんな意識をせざるを得ないほど社長と話しをするということは大きな出来事だった。

上司や社長は自覚を

時代は変わって、今、私は会社を営んでいるのでその一応社長という立場に立っている。ただ社員がまだいないので、社長兼社員といった感じで、当然私が入社した時に感じた社長の重みとは似ても似つかないものだ。しかし、名刺を交換する外部の若手にはそんなことは分からない。社長の名刺を見て、少なくとも外見だけは恐縮して受け取ってくれる(時もある)。私にはどう欲目で見てもカリスマ性などないから、周囲を圧倒する力などさらさらないが、それでもそんな状況だ。

たとえ声をかけなくても、若手から見れば上司や社長といった人種はそれほど存在が大きい(うっとうしい)のだ。そのことを当時の自分たちのとった行動を思い出して、若手に声掛けをしてやるときには配慮がいるかもしれない。
ところが、これがなかなか思うように言葉が浮かんでこないのだ。苦し紛れにいろいろ言葉を出しても、どれもこれも相手にヒットしている様子がない。逆に、よかれと思って伝えた言葉がかえって相手の気持ちを逆なでするようなことさえある。そんな時、ちょっとした無力感を感じるのは私だけではないだろう。

成果と成長

人と過ごした記憶は、かつてその人が自分に投げかけてくれた印象深い一言とともに蘇ることも多い。やはり上司として、社長として、会社を引っ張るくらいの立場になれば、部下にも記憶に残るような声掛けをしてやれるくらいになれれば、会社も自然と発展していくに違いないと思うのだ。それには、あの時、あの上司(社長)と一緒にいた時が、一番面白かった。一番熱かった。一番自分も成長できた、そして、一番自信がついたと思われるようにすることがまず大切ではないだろうか。

部下に自信をつけるアプローチとして、すぐに浮かんでくるのは、「部下を成果に導くこと」であり、「部下の成長を促進すること」だ。
「部下を成果に導く」やり方というのは、日々の仕事において、挑戦→成果→自信→挑戦、というサイクルを回し、「自分にもできた」という自信をエネルギーに新たなテーマに挑戦していく。「部下の成長を促進する」というのは、自らの会社内の存在価値を高めるためにも成長することは根源的な欲求としてあるものだ。自信を継続して持ち続けるためには、この成果と成長の2つはどちらも欠かすことができない。

一言、二言に現れる愛情

具体的にどんな声掛けがこれまで記憶に残っているか。たまたま、私の中学・高校時代の同窓会があった時、周囲に聞いてみた。ほとんど皆が会社の管理職経験者だ。それによると、「この仕事、やれるのは君しかいないよ」「その提案とても良いのだけど、君はその中でどんな役割を果たしたいのかな」「まあ死ぬわけじゃないし、起こり得る最悪のことって何だろう」「今気がかりなことを全部紙に書き出してみてよ」「今度の新入社員、みんな君の兄弟みたいなものだから、モデルになってあげてよ」…どうだろう。決して長い人生訓のようなものでなくても、ウィットのあるほんの一言か二言の刺激的な言葉で、人の心は動くのだ。

こうした一言は、たとえそれらを真似たところで役には立たないかもしれない。それぞれの文脈の中でこそ生きてくる言葉だからだ。でもいずれも基本は部下の現状を認めた上で、その一歩先の未来に向けた問いかけになっていることが分かる。根底にあるのは、やはり部下に対する愛情だろう。それがないと、むしろ唐突感というか滑稽にさえ聞こえることもあるかもしれない。でもそのことを念頭に置きながらも、こうしたフレーズを状況に応じて出すことができるようになった時、それは上司や社長自身が成長した姿を映してもいる。