「さわやかに」失敗ではダメ

相変わらず、失敗をよくする。今日もとても良い感触の商談をしていたのだが、私がつい調子に乗り過ぎて、本来相手の話を聞かねばならないところを、少し強引に押しすぎたばっかりに、最後は「考えておくわ」とかわされてしまった。特に大阪ではこの「考えておくわ」というのは、限りなく「もうええわ」に近いことばでほぼ断りの言葉に等しいのだ。

私は「やってしまった」と思ったが、もう後の祭りだ。こんな時、これまでの私なら、直後に落ち込むのは仕方ないにしても、また気持ちを切り替えて別の商談に臨むところなのだが、今回はちょっと考えてしまった。本当にテクニックだけの問題だったのか、自分の心の底に本当はこの仕事を受けたくないと思っていた節がなかったかということだ。

よく失敗を引きづらない人を指して、「さわやかな人」という風に見られたりするが、確かに遊び仲間としてはそれでよくても、仕事となるとそこはしっかりPDCAが必要だろう。特に日本人はC(チェック)とA(アクション)が苦手とされるが、ここはしっかりそのサイクルを回して、学習することが大切だ。
ということで、失敗ということについて少し考えてみた。

予防できる失敗

失敗には3種類あると言われる。
その一つ目が「予防できる失敗」だ。これは事前の準備を怠ったがために起きてしまう失敗を指す。いわば、やるべきことをやらなかったことが原因になる。用意周到であれば避けることのできるトラブルなので、予定の立っているものであれば十分に準備をすることが欠かせない。

ただ厄介なのは、いつも予定外のことが起きることだ。私の今回の失敗もそうだった。予定ではまったく違う案件の仕事だったのが、突然目の前により大きなチャンスが巡ってきたような感じだった。だから準備も何もない。

でもチャンスとはそういうものだともいえる。何も十分に準備をしているところに、いつもチャンスが訪れるわけではない。それは突然にやってくるものなのだ。だからそのための準備というのも、いつ、どこで、何が起きても、捕まえる用意はできているということが求められるのが本当なのかもしれない。
 

避けられない失敗

二つ目は「避けられない失敗」だ。これは自分の能力を超えた大きな問題に巻き込まれた結果、発生するものだ。この失敗の原因は「複雑さ」にある場合が多いのが特徴だとされる。仕事のプロセスや意思決定の手順が複雑になっている場合は、一度見直した方が良さそうだ。

その場合は、一つ目の予防できる失敗とは異なり、失敗に対する自責の念を感じる必要はない。原因の多くは自分ではコントロールできないところにあったわけだから、罪悪感を感じるのは非合理的ということになる。この罪悪感は悪循環につながるきっかけになるため、不用意に自責の念を感じ過ぎないように注意することが必要だ。

しかし、そもそも本当に自分の能力を超えた問題だったかというのは、正直に振り返る必要がある。人間は本来、自責を避ける傾向が強いため、ちょっとしたことでも「それは自分の範囲外」「もともとの要求が能力をはるかに上回っていた」と逃げがちだ。今回の私の場合、予防できる失敗であったとお話ししたが、実は相手の話の途中で、その要求するところが私の能力を超えたものであるかもしれないと、感じていたのも事実だ。今から思えば、相手の要求を一度持ち帰り、十分に検討する時間を持つようにした方が良かったのかもしれない。

知的な失敗

そして三つ目が「知的な失敗」と呼ばれているものだ。これは新しいことに挑戦した結果起こった失敗を指す。その失敗から学び、経験を活かすことで自分の成長や発達につなげることができる。より大きく成長するための通過儀礼的な失敗と捉えると、このような失敗は失敗だけど歓迎できるようにもなれる。

このように失敗した時は、その失敗の分類をまずしてみるといいかもしれない。そうすれば、不必要に自責の念に囚われることなく、失敗の種類に応じて適切な対応をとり、次に向けて積極的に学習することができるようになる。ただ「さわやか」なままでは、いつまでたっても成長できない。

私は今回の失敗を機会に、もう一度自分のしている仕事内容を精査し、顧客の要望するところと、自分が自信を持って提供できるところ、チャレンジャブルかもしれないがある程度カバーできるところ(積極的にリスクをとっていけるところ)、自分のサービス外にするところをしっかり見定めて、自信を持って商談に赴こうと思う。まだまだ未熟な私ですがよろしくお願い致します。