逆算の発想

無名だった古川商業高校女子バレー部を全国制覇12回へと導いた元監督の国分秀男氏は、同校に赴任した時の挨拶の場で「自分はこの学校の女子バレー部を日本一にする。そのために来ました」と言ったという。それまで環境も伝統もない学校でそう言ったのは、夢のある言葉を選手たちに語らないと選手は頑張れない、という考えからだった。


だが本当にすごいのは、皆と逆の発想を持って、つまり、一つの目標を達成するためにまず全体の絵を描いて、そこからどうやって階段を上っていくかを考えたところにある。

元米国ITT社の最高経営責任者ハロルド・ジェニーン氏も言っている。「本を読むときは、初めから終わりへと読む。ビジネスの経営はそれとは逆だ。終わりから始めて、そこへ到達するためにできる限りのことをするのだ」。

一度しかない人生

古川商業高校の場合、だから勝つべくして勝ったという風にも言えるが、国分氏は、「当時は日本一になれるとは思ってもいなかった。でも、自信はなくてもまず口に出して言ってみようと思った」と振り返る。
「だって一度しかない人生なんだから、理想を掲げて、それに向かって進んでいったほうが、ワクワクすると思うんですよ」。

考えてみれば、何もしないうちから「俺には無理だ。俺はこの程度だ。この程度でいいんだ」と思っていたりはしないか。

起業したもののなかなかうまく思ったようにいかない毎日を過ごしていた私にとって、当時、この言葉は、「私にでもこの世に生まれてきたからには、人に誇れる、私にしかないモノを必ず持っているはずだ」と随分勇気付けられた。

結果は努力の先についてくるのでない

結局、なんのかんの言われても、会社の評価は業績(それは収益というだけにとどまらず、NPO法人のような場合なら達成した事例など)一つの基準で評価されることがほとんどだ。

どんなに努力したかは関係なく、良きにつけ悪しきにつけ同業他社と比べて、その会社は何をしてきたのか、どんな業績を上げたのかで評価が決まる。

ところが、上場企業の業績レポートを見ても、昔から世の中の景気の動きを長々と書き、それがあたかも自社の業績不振の免罪符にでも仕立てようとしているかのような、ケチな考えが多いように思う。そうした経営者は、努力すれば成果は自然についてくるとしか思っていないから、結果にコミットできないのではないだろうか。

まずやりたいことを見定めよ

だけど努力しても、そもそも方向性が間違っていたら成果は得られない。
現実の延長線上で考え、できるか、できないか、よく分からないうちに、「自分にはできない」と考えてしまうのは間違っている。

逆算発想の良いところは、節目ごとの目標を達成するのに、しなくてはならないことが次々に出てくるところだと考えられている。

先のジェニーン氏は、「自分は何をやりたいのかをしっかり見定め、それをやり始めよ。しかし、言うは易し行うは難しだ。肝心なのは行うことである」と結んでいる。実行しなければ何も起こらない。失敗もそれが致命的なものでない限り、楽しむ余裕を持っていたいと考えている。