知識と思考は違う

先日外山滋比古さんの著書の中に、知識と思考は相性が悪く、知識が豊富だと「考える」という面倒なことをする必要が少ない。知識がないと何とか自分で考えなくてはという追い詰められた気持ちにもなる、という意味のことが書いてあるのを読んだ。

知識と思考の折り合いの付け方まで書いてあったが、なかなかそこにたどり着くのは大変そうだ。

私たちはインターネットという便利なツールのある時代に生き、「検索」という手段で大抵の知りたいことだけでなく、それ以上のことまで苦労を感じずに得ることができるようになった。
そのためかどうか、私などはそれでせっかく「知った」ことがらも良く忘れてしまう。また検索すれば済むと思っているからだろう。

自分自身の「今」を知る

別の日に、山登りをしてきた友人の話しを聞いた。

当たり前だけれど、山登りには出発点と目的地があり、そこにそれぞれの行程があり、計画的に歩いていく。
そして多かれ少なかれ、背負う荷物を持っている。決して楽な行為ではない。

そこで大切なのは、自分自身の「今」を知るということだという。

人はそれぞれに体力、能力、好みなどを持つ。
自分のそれらを知ることで、どこへ向かって、どのくらいの荷物を背負って、どんな距離を、どうやって歩いて、何に頑張って、何を楽しむかということが良く分かるという。

「今」の自分が分からなければ、ただ漠然と頑張ろうと思うだけで、ひとつも先に進めない。

借り物でないビジネスモデルを

起業でも同じことだと感じる。

最近ではいろいろな事例が紹介されていて、それらの成功例を基にすれば「簡単に」ビジネスモデルが開発できることをうたい文句にしたものさえある。
起業はインターネットで検索するようにどこかの知識を借りてきて成り立つものではないはずだが、周囲にはそれらの事例を知って満足している人が多くいる。

当たり前の話だが、経営の問題は種々雑多だ。
トヨタの問題が日産に当てはまるとは限らないし、今日のトヨタの問題と明日のトヨタの問題とはまた違う。

その意味で、答えを「覚える」ことは、あまり意味のないことだと思う。
分析をして終わりでもダメで、それを「どう料理するか」が本当は大切なのだ。

徹底的に考える

偉そうなことをいっても、私自身、本当に「考える」とはどういうことかが分かったのは最近だ。
それまでは、何かを知っていればそれでいいと思っていた。

思えばこれまでの人生の中でも、「考える」より「知る」ことに夢中だったし、「知る」ことによって自分が一歩前進したような気になって、それが楽しかった。

それなりに会社で管理職も務めてきたのだが、今から考えると良くそれで仕事ができていたなと思う。

しかし、起業ともなれば、やはりそうもいくまい。

たとえ、たまたまうまく行っても、化けの皮はいずれはがれる。
「頭から血のでるくらいまで考えろ」と良く言われた言葉だったが、今その意味を噛み締めている。